近年、目まぐるしく変化する世界情勢の中で、日本経済の安定成長のために何が必要なのか、そして世界で一番高齢化が進み年金、保険、介護などの社会保障に今後大きな影響を受ける日本に生きる私たちは、個人としてどのような対策を取っていけばいいのか、門倉貴史(エコノミスト/BRICs経済研究所代表)にお話を伺いました。
現代は先行きが不透明で予測困難な時代になっており、Volatility(変動性)、Uncertainty (不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った「VUCAの時代」と言われています。その事例の一つが2001年のアメリカ同時多発テロでした。これから先の日本経済を見ていく上で今一番のリスク要因といえば、ロシアのウクライナ侵攻です。長期化の予想を呈しており、西側諸国による経済制裁に対抗してロシア側は主要産品であるエネルギー資源、穀物資源の輸出を抑制していることから、世界の需給バランスが逼迫し価格も高騰しています。日本の場合は資源の大半を海外からの輸入に依存しているため物価の上昇につながっている上に、外国為替市場で円安が進み、輸入物価がさらに押し上げられて物価上昇に拍車がかかっています。
なぜ最近、円安が進んできたかというと、様々な要因がありますが一番の要因は日米の金利差の拡大です。日銀が2013年から「異次元の金融緩和政策」として政策金利をマイナスにするなど続けてきた一方で、アメリカでは22年ごろからインフレが深刻な状況になり、FRB(連邦準備銀行)が金融引き締め政策を取り長期金利を23年夏まで上昇させ続けたため、日米の金利差がどんどん開いて投資家は金利の高いアメリカドルで積極的にお金を運用するようになりました。日銀総裁が今年3月に植田氏に変わってから、金融政策決定会合においてマイナス金利政策の解除に踏み切り、さらに7月末には追加利上げも行っており、今後も利上げを進めていく方針を打ち出しています。アメリカではFRBの金融政策により物価がかなり落ち着きを取り戻すようになったので、今年9月のFOMC(連邦公開市場委員会)で政策金利の大幅な引き下げを実施し、11月にも追加利下げを行いました。従ってこれから先、日米の金利差が縮小していけば円高の流れになると見られます。
円安の局面が続くと輸入物価に相当押し上げ圧力が生じ、昨年から日本の企業は政府の要請や賃上げ促進税制の導入もあり相次いで賃金を引き上げていきましたが、今までのところ物価の方が賃金を上回るペースで上がってきており、実質的な購買力は落ち込んでいる状況です。これから先、政府が何か有効な物価高対策を打たなければ、景気は低迷していき、一方で物価は上昇し、スタグフレーション(stagnation=景気停滞とinflation=インフレーションの合成語)に陥るリスクもまだ残っているのではないかと思われます。
円高になれば消費者目線では物価が少し落ち着くことになります。ただし為替レートは、金利差以外の要因でも動いています。それが政治的、地政学的リスクです。来年1月にトランプ氏がアメリカ大統領に返り咲きすると国内の産業保護のため他国からの輸入品に高い関税をかける方針を掲げており、実際に行われれば、アメリカで輸入物価が上昇、インフレ懸念が再燃、するとFRBは再利上げに踏み切り、日米の金利差も開いて円安になります。また昨年10月以降、イスラエルとハマスの交戦状態が続いています。これまでは世界経済がこれを地政学的リスクと見なしておらず、原油の国際価格も落ち着いていたのですが、最近になってイスラエルと中東諸国との対立がかなり先鋭化しており、1973年の第4次中東戦争並みに戦況が拡大するリスクも否めません。そうなれば原油国際価格は高騰し、日本ではガソリンや石油関連製品の価格の高騰も見込まれます。逆に比較的安全な通貨の日本円に投資家の投資が集中するようになれば、円高になる可能性もあります。
日本はこれから人口の減少が加速していき労働力人口がどんどん減っていくので、日本経済が中長期的に安定成長していくためには、労働力人口の減り方をできるだけ緩やかにとどめることが重要になります。そのための具体的な策としては、1. 女性の社会進出の促進、2. シニア層の雇用増加、3. 就職氷河期世代の活用、4. 外国人労働者の活用があります。
1. 女性の社会進出の促進については、世界経済フォーラム(WEF)が毎年作成しているジェンダー・ギャップ指数において、2024年に日本は146カ国中116位と低く、特に経済活動の参加、政治への関与でかなり評価が低く、順位を押し下げています。ただし下に示したグラフでわかるように、労働力率が一定のケースより女性の労働力率が上昇するケースでは将来的に労働力の低下が緩やかになると試算されます。また企業における女性管理職の割合は、アメリカ43%、フランス39%などと比較し日本は12.7%と低くなっています。最近、様々な国の研究で明らかになったのは、企業の中に女性管理職がいるとそれだけで利益が出やすくなるということです。その理由は、女性役員がいることで女性社員や女性客の心理をより深く把握でき、労働生産性の改善や売上高の増加を実現しやすいからです。そしてこのまま女性の社会進出が進み、労働面で男女平等が実現した場合、世界のGDPが約3,080兆円も増えるとされており、日本の場合は約80兆円の増加(GDPの16%)が期待できるとされています。
2. シニア層の雇用増加についても、シニア層の雇用を増やしている企業へのアンケートでは、全体の8割以上がメリットを感じているということでした。その理由として、業務に関する豊富な知識・経験、人手不足の解消、他の社員へのスキルの継承などを挙げています。一方、働きたいシニア層が現在働いている理由は、生活のためのお金が必要、老後資金のための貯金といった現実的な理由のほかに、社会とのかかわり、仕事を通しての自己実現といった理由も挙げています。企業とのマッチングさえうまくいけばシニア層の活用は増えていくと考えられます。3. 就職氷河期世代の活用については、1970〜84年生まれで日本経済が低迷して非常に厳しい就職環境で就職してきた世代は、2024年現在40〜50才で約1,700万人もいますが、多くが非正社員です。仕事への意欲が高く、堅実で貯金好き、そして優秀な人材の宝庫となっています。また4. 外国人労働者の活用については、2010年に約65万人だったのが23年には約205万人にまで増加しましたが、30年に必要となるのは約419万人と想定され約63万人が不足するとみなされています。将来、先進国全体で労働力不足問題が深刻化すると予想されているため、外国人労働力の獲得競争が激化していきます。競争に打ち勝って日本に外国人労働力を呼び込むためには、外国人労働者が日本で安心して希望を持って働ける職場環境の整備が今のうちから必要です。
労働力人口減少に対する政策とともに中長期に渡り日本の経済が安定していくためには、今働いている人たちの労働生産性を引き上げていくことも重要です。現在OECD(経済協力開発機構)加盟国38カ国の中で30位と低い日本において、個別の企業が従業員の生産性やモチベーションを引き上げるためのいくつかの方法を提案します。
平均的な日本のビジネスパーソンを想定した時に、1週間のうちどの曜日にモチベーションが高まりやすいか調査したところ、一番高まりやすいのは休日の前にあと少しだけ頑張ろうという金曜日で、次に高まりやすいのは土日にしっかりと休んでリフレッシュした月曜日でした。従って金曜と月曜に集中して仕事をこなしていけば1週間全体の仕事の効率が改善していくことになります。もちろん国によって文化の違いや国民性の違いがありモチベーションが高い曜日は同じではありません。また日本の通勤時間は、ニューヨーク、パリ、ロンドンと比較し突出して長いのが特徴で、従業員の通勤時間と労働生産性の間には密接なつながりがあることが明らかになっています。調査によると、通勤時間が1時間以上の人はそれ以下の人に比べ、うつに苦しんだり、仕事関連のストレスが複数あるといった傾向が見られ、結果として年間の労働生産性も低くなっていまいます。
コロナ禍をきっかけにテレワークやリモートワークが広がりましたが、これが定着する流れになれば生産性の改善が期待できると思います。そしてテレワーク、リモートワークの前段階として通信環境を整える必要があるので、ICT投資、つまりデジタル技術を活用して競争力を高めるデジタルトランスフォーメーションの推進により生産性の改善が期待できるようにもなります。ICTを導入した企業群と導入していない企業群を比較すると、業務の省力化、業務プロセスの効率化、既存製品・サービスの高付加価値化、新規製品・サービスの展開などに著しい効率化が見られています。日本企業はパソコンなどハード面では先進国の中では進んでいるものの、eコマース機能を持つHPの開設、SNSの利用、インターネット広告といったソフト面でのICT化の遅れが目立っています。
また企業の管理職の生産性を高めるためには、絵画鑑賞が有効だとする研究があります。VTS(ビジュアル・シンキング・ストラテジー)といって、ニューヨークの近代美術館MOMAの教育部長が開発し世界の有力企業が取り上げている手法で、予備知識を与えられず20分間絵画を鑑賞し絵を見た感想をグループで述べ合っているうちに、自分とは異なる考え方や解釈があることに気づき、最終的に固定観念にとらわれず柔軟な思考で物事を解決していく能力が身につくという方法です。日本のビジネスパーソンは国際的に客観的論理的なスキルは非常に優れていると評価されていますが、VTS研修を通じて、それにプラスアルファで感覚的直感的なスキルを磨いていくことができます。先行き何が起こるかわからない変化の時代なので、万が一、大きな外性的ショックが発生した時に柔軟な思考で問題を解決でき、企業のレジリエンスを高めていくことができると考えられています。
また職場の生産性を高めるのに手っ取り早い方法もあります。オフィスにいくつかの観葉植物を置くだけで従業員の幸福度が高まり業務の活動が活発になり、生産性が15%アップすることがイギリスの大学の研究でわかっています。植物でなくても、観葉植物の写真や緑色の壁紙でも構わないそうです。アメリカのグーグル、アップルなど大手IT企業ではオフィスの中がジャングルのようになっているそうで、日本の企業でもこの傾向が加速しつつあります。
中長期の視点で見ていくと、日本の高齢化は今後も急激に進んでいくため、寿命の伸びに合わせて資産の寿命も延ばしていく重要性が高まると考えます。日本人の平均寿命は、2023年には男性81.09才、女性87.14才で、国立社会保障・人口問題研究所の予測によると70年には男性85.89才、女性91.94にまで伸びるとされています。しかもこれは平均寿命であり、100才を超えても健康で元気に暮らす人=センテナリアン(Centenarian)が相当な数に上る可能性が高くなっています。このような時代なので、定年退職後の生活費をいかにして捻出していけばいいのか考えなければなりません。仮に寿命を90才とし、60才でリタイアした高齢夫婦がゆとりある老後の生活を送るシミュレーションにおいて、総務省による「家計調査」を参考にします。
1カ月の収支の内訳 支出:25万2,086円 − 年金などの収入:23万7,663円=▲1万4,423円。 赤字の部分は貯金を取り崩していくので、60才で退職した老後に必要な貯金額を逆算すると、 60才~65才まで(無年金期間の生活費)25万2,086円×12カ月×5年=1,512万円 年金支給後の65才~90才まで(年金では足りない生活費)1万4,423円×12カ月×25年=432万円 これに介護や医療にかかる、もしもの時の備え500万円をプラスし、合計2,444万円が必要になります。ところが今の現役世代にアンケート調査をしたところ、理想の生活費がかなり高く、その結果、必要な合計貯金金額が一気に6,540万円にまで跳ね上がりました。
ただしこの6,540万円には盲点があります。それは、今後おそらく年金が減額になる確率が高いという点です。日本の公的年金制度では、将来高齢者が受け取る年金額の増減は将来の現役世代の支払う保険料の増減にかかってきます。しかし今後は出生率の低下、就労人口の減少、平均寿命の伸長、就労者一人あたりの実質賃金の伸び悩みなどの条件により、年金の給付水準が下がると予想されます。
さらに将来は医療費や介護費の自己負担が相当高まると予想されています。国民一人当たりの医療費は75才未満が毎年平均22万6,000円、75才以上が95万2,000円と4.2倍になるのに対し、退職後の年収にもよりますが75才以上では基本的に1割負担になるため、高齢者の割合が高まれば必然的に日本の国民医療費が膨らみます。長期的な推移を見ると、1985年度には16兆円だったのが2022年度には46兆円にまでなり、厚生労働省の予測では30年度には62兆円にまで膨らむと見ています。従って国民健康保険を中長期で維持していくためには、どうしても保険料や自己負担の引き上げが避けられなくなってきます。また介護保険については一層深刻な状況になっています。「介護保険2025年問題」をよく耳にすると思いますが、団塊の世代が皆75才を超える年齢に差し掛かり一気に介護の給付が高まって、介護保険制度の破綻まで懸念されています。制度を中長期で維持するためには介護保険料や介護給付の自己負担引き上げが避けられなくなってくるのではないかと思います。
ゆとりある老後の生活のために、まず定年退職までに十分な金融資産を蓄え、退職後は徹底した節約を行い少しでも貯金を増やす、あるいは公的年金以外の安定した収入として再就職や副業・起業などを行うこともお勧めです。そして一番確実で現実な方法といえば投資による資産運用です。まず皆さんに念頭に置いておいてほしいのは、日本経済は長年デフレ現象に苦しんできましたが、これからは本格的なインフレの時代に突入する可能性が高くなっている点です。デフレ時代は、ものやサービスに比べてお金の価値が上がっていくのでタンス預金でもよかったのですが、インフレ時代には現金やタンス預金では時間の経過とともに損失が増えていきます。銀行預金についても日銀はデフレ脱却後もしばらくは低金利政策を取り続ける可能性が高いため、銀行の利息よりインフレによる資産価値の目減りの方が強く現れてしまう可能性が高いです。昔から「財産3分法」と言われているように、資産を現金、不動産、株の3つを柱として、バランスよく金融商品、投資商品に分散投資し中長期で運用していくことが、インフレ時代に必要となってきます。そして最初にお話ししたように、先行きが見えない世界情勢と経済動向の中、日本でも100年に一度発生するかどうかの事件や災害が高い頻度で発生するようになっており、万が一に備えて取れる範囲でリスクを取っていただき資産を増やす重要性が高まりつつあると見ています。
エコノミスト/BRICs経済研究所代表
1971年神奈川県生まれ。95年、慶応義塾大学経済学部卒業、同年銀行系シンクタンク入社。 99年、日本経済研究センター出向、2000年、シンガポールの東南アジア研究所出向。02年から05年まで生保系シンクタンク経済調査部主任エコノミストを経て、現在はBRICs経済研究所代表。同研究所の活動と併せて、フジテレビ「ホンマでっか!?TV」、TBS「サタデープラス」、読売テレビ「クギズケ!」など各種メディアにも出演中。また、雑誌・WEBでの連載や各種の講演も多数行っている。『図説BRICs経済』(日本経済新聞社)、『増税なしで財政再建するたった一つの方法』(角川書店)、『不倫経済学』(KKベストセラーズ) 、『オトナの経済学』(PHP研究所)、『お父さんのための裏ハローワーク』(方丈社)、『日本の「地下経済」最新白書』(SB新書)など著作多数。